STAR WARS – The Rise Of Skywalker 【スカイウォーカーの夜明け】

よもやま話,映画の話

シリーズ最終作(?)

1977年の第1作公開から42年。ついにシリーズ最終作!

…などという触れ込みで宣伝されているが、よくよく見れば「スカイウォーカー家の物語がついに完結!」と。
そりゃそうだよね。「スター・ウォーズ」の映画となれば世界中で何億もの人が観てくれる。関連商品もバカ売れ。ディズニーがせっかく手に入れたこのドル箱を手放すわけがない。この作品でスター・ウォーズはもうおしまいってことにはきっとならない。手を替え品を替え使われるはずだ。古くからのファンとして願わくば浪費しすぎて作品全体の品位を下げないでいただきたい。ほんと頼む。

今後どんな展開があるのかはわからないけどジョージ・ルーカスが創り出した現代の御伽噺はこの作品でひと区切りとなることは間違いないのだろう。

さようならスカイウォーカー。

そうきたか…

(ここからネタバレ。観ていない人は読まなほうがいいです)
























前作「最後のジェダイ」でこの3部作の悪の親玉のはずだった ファースト・オーダーの最高指導者スノークがあっけなく死んでしまった。代わってカイロ・レンが最高指導者になったが悪の親玉にしては全然頼りない。フォースのダークサイドに身を委ねようとしているがライトサイドの部分も大きいので不安定。ダース・ベイダーやパルパティーンに比べると「悪役」としては全然弱い。
こんなんで最終作どうするんだろうと思っていたら…。

まさかのパルパティーン復活。

これはいただけない。安直すぎる。
確かに「シスの復讐」でアナキンを誘惑した時に「死を欺く術」とかなんとか言ってたのは事実だけど、まさか本当に復活するとは。「ジェダイの復讐」のラストで僕らがハラハラしながら見たルークとベイダーの必死の抵抗からの勝利はなんだったんだ。勝ったふたりがもう死んでいるのに負けたはずの彼ひとりが復活したんじゃあの戦いが台無しじゃないか。強い悪役であることは確かなんだけど…これは反則。

で、出生不明のレイはパルパティーンの孫ですよと。
それは有りだと思う。両親の描写が殆どなかったのは残念だったけど筋としては悪くない。でもそこにパルパティーン本人が存在しなくてもいいんじゃないか。むしろ存在しなかった方がよかったんじゃないか。その分両親の葛藤に時間を割いてほしかった。

レイの両親問題はこの3部作の大事なテーマのひとつだったはずなのに復活したパルパティーンに全部持っていかれて両親たちが何者だったのかは結局最後までよくわからずじまい。

最後のお祭り

このシリーズはとにかく「お祭り」。
素材が素晴らしいのでどう料理してもそれなりのものになる。エピソード7も8も楽しかったし、今回の9もやっぱり「スター・ウォーズ」であることには違いなかった。昔から高度なSFXが取り沙汰される作品だが振り返ってみれば特撮映像よりもキャラクターをよく覚えている。ルーク、レイア、ハン、R2-D2、C-3PO、ダース・ベイダー、オビ・ワン、ヨーダ…それはやはり「物語」の骨子がしっかりしているからだ。

これだけ壮大なバックグラウンドを持つ大作の新作を作るのはとてつもなく大変な作業だったと思う。でも「新シリーズ」である以上新しいキャラクターに主体性を与えてほしかった。「最後のジェダイ」は過去作を振り払わんとせんばかりのやや強引な展開だったが「スカイウォーカーの夜明け」ではまた旧作に擦り寄っているように見えた。それはそれで喜ぶファンも多いだろうから間違いではない。わかる。

ラストシーンは見事だった。
ルークが育ったタトウィーンのラーズ農園にルークとレイアのライトセーバーを沈め、自らの黄色いセーバーを点灯されるレイ。「お前は誰?」の問いに「レイ…スカイウォーカー」とためらいながらも堂々と答え、2つの太陽を眺める…。ルークとレイアの意志をついでジェダイとして生きるという決意とその称号としての「スカイウォーカー」を名乗る彼女の姿は旧作のファンとしてはたまらないものだった。

でもやっぱり。

パルパティーンを復活させないと成立しない3部作なんだったら作らなかったほうがよかったんじゃないか。そんな思いを未だに払拭できないでいる。