翔んで埼玉

よもやま話,映画の話

昨年末から今年にかけての映画といえば世間では某英国ロックバンドのボヘミアンなんとか一色で、感動しただの涙が止まらないだの異常なまでの絶賛の嵐。1982年冬のE.T.の再来を見ているかのようだった。

E.T.が日本で公開された当時僕は中学1年生。
素直な気持ちが失われ始めていた時期で、「感動」「名作」と世間が盛り上がれば盛り上がるほど拒絶反応が強くなり結局劇場には観に行かなかった。SF映画が好きだったので普通なら見に行く作品だったのに…過剰に盛り上がった世間が悪い(笑)。
で、今回のなんたらラプソディーもあのバンドは大好きなのに結局観に行かなかった。35年以上経っても未だに中2病をこいらせてるわけだが別に後悔はしていない。

「翔んで埼玉」…そのE.T.の頃に描かれた作品なんだそうだ。
魔夜峰央さんの漫画は「パタリロ!」をはじめ昔から大好きだったのにこの作品の存在を知ったのはほんの数年前のことだった。
就職と同時に静岡県浜松市に移り住んで26年。今やここが人生で最も長く住んだ街になったが、幼少期から大学卒業まで埼玉県で育った僕は骨の髄まで埼玉県民。
「埼玉+魔夜峰央」なんて僕にとっては最高の組み合わせだというのに。うかつだった。

なぜに埼玉

魔夜峰央さんは編集部のすすめで新潟から埼玉の所沢に転居してきた。ところが引越した後で編集部長と編集長が所沢の自宅近くに住んでいることを知り「罠だった。監視されてる」と非常にストレスを感じていたんだそうだ。で、そのストレス発散のために「埼玉をおちょくる」漫画を描くことを思い立ち、この作品が生まれた。
1982年。「パタリロ!」のアニメ化・テレビ放送が始まった年のことだ。
白泉社「花とゆめ」の別冊用に3作描いた後に魔夜さんは所沢から横浜に引越し。「県外で描いたらただの悪口になっちゃう」という理由で執筆をやめてしまったために以降の展開は描かれなかった。映画で大活躍する「埼玉デューク」も登場しないままだった。
作中では埼玉の他に「茨城県」がディスられているがこれは魔夜さんの奥様が茨城の出身で「妻の出身地ならおちょくっても大丈夫」だと思ったからだそうだ。映画では埼玉と同格のライバルとして「千葉」が取り上げられ埼玉といがみ合っているが、漫画では映画のような扱いはされていない。

埼玉小ネタのよしあし

熊谷から結納に向かう道すがらラジオで放送されている「埼玉解放の伝説」を聴く親子…その「伝説」として「翔んで埼玉」の本編が語られる。

幕開けは「さいたまんぞう」さんの「なぜか埼玉」。
もういきなりベタベタである(笑)。

なにせ原作が途中で終わってしまっているので既知の部分は冒頭のみ。
しかもその部分ですら原作と違っている箇所が多く、先が全く読めない。

原作では埼玉を極端な貧民集落として描いてはいるものの埼玉県民にしかわからないマニアックなネタはなく、どの都道府県に住んでいる人でも楽しめる作品になっていた。
ところが映画ではこの「埼玉固有ネタ」をかなりふんだんに散りばめていた。

「風が語りかけます」とか
浦和と大宮に挟まれて与野が怒鳴られるとか
ラジオの放送局が「Nack5」とか

埼玉県民じゃないとわからないでしょこれ(笑)。
僕は存分に楽しめたけど、他県の人は置いてかれちゃうと思う。
この辺はリスクを負ったかな。

キャスティングは素晴らしかった。
二階堂ふみさんのちょっとカタめの台詞回しは百美にピッタリだし、GACKTさんの麗も大ハマリ。
脇を固める皆さんもそうなんだけど、こういうコミカルな作品を真剣に演じるのはほんとに難しいと思う。役者魂を感じた。
ただ「チバラギ」のくだりで麻生久美子さんがキレる場面は唐突すぎたかも。人物の掘り下げがないままいきなりだったのでちょっと違和感があった。いい役者さんなのに勿体なかった。

エンディングはベース弾き語り師のはなわさんが歌う「埼玉県のうた」。
佐賀出身で同県をネタにしたベース漫談が代表作の彼。
なぜなの?と思ったら実は生まれが春日部だったという衝撃(笑)。

妙な一体感

帰省のついでに新所沢のレッツシネパークでこれを観た。
全国ロードショーなので浜松でもやってるんだけど、どうしても埼玉で観たかったのだ。

結果大正解だった。

笑いのツボは一緒だし、disられてる時の劇場の空気とか、妙な一体感があった。
他県では決して味わえないであろうこの醍醐味。

そういう面も含めて、とても楽しめた。
いい作品だった。

でも、続編は作らないでほしい。