GLAD EYE

GLAD EYE | Candy
参加1989年7月〜
演目オリジナル曲中心。たまに既成曲のカバーも。
担当ベース、キーボード、編曲


大学時代。
入学したのは理学部物理学科というおカタい学科。学友は物静かで知的な人たちが大勢を占めていた。
そんな中、ハンチング帽をかぶったやや長髪の男が目に留まった。「こいつヤッてるな(変な意味じゃなくて)」って雰囲気。
それが高安氏との出会いだった。向こうもそう感じたんだろう。
話をして、彼のバンドに誘ってもらった。

GLAD EYE。
彼が高校時代に組んだバンドで、編成はVo+Gt+Bs+Kb+Drの5人。
ほどなくして彼からデモテープを渡された。

それを聴いて愕然とした。

全曲高安氏の作品。そのレベルはこれまで自分が体験していた世界とは完全に別次元だった。高安氏のギターも超人的だった。
当時の僕の楽典知識では到底理解不可能な音楽。鳴っている音にどう反応していいのかわからない。未熟な自分に対して周りからの要求は容赦がなかった。しかし全然応えることができない。苦しかった。音楽ってこんなに難しくてつらいものなんだ…。

加入から1年経たないうちにバンドから解雇された。この期間の成果はレコーディングセッション1回だけ。ライブの機会は無かった。
でも悔しいとか残念とかいう感情は全く持てなかった。只々「仕方がない」としか思えなかった。

「知識の無い人間に音楽はできない。お前じゃダメだ」
正面切ってそう言われて目が覚めた。センスだけで音楽ができるのはごくごく一握りの天才的な人間だけ。センスを持たない人は知識と経験をバックグラウンドに持っていないとすぐ限界点が来てしまう。
自分の知識と技量の無さに真正面から向き合う決意をし、コード理論とスケールの勉強を始めた。自分で曲を作ることにも取り組み始めた。

そして約1年後。お互いに作った曲を聴かせ合っているうちにまたバンドに入れることになった。解雇された時のメンバーで残っていたのはGtの高安氏だけ。Kbはおらず、Vo+Gt+Bs+Drの4人編成になっていた。
鍛錬の賜物か、この頃にはなんとかバンドについていけるようになっていた。新宿HEADPOWER等で数回ライブ演奏もやった。

大学時代最後のライブもHEADPOWERだったが、これが酷かった。

その日は数バンド合同でGlad Eyeは2番目。しかしドラマーが来ない。待てど暮らせど来ない。彼の下宿に電話するが出ない。携帯電話なんか無い時代だったから連絡の取りようがない。急遽出番を後ろにズラしてもらって彼を待った。が、結局来なかった。ドラムがいなきゃ用意してきた曲はできない。仕方がないのでVoとGとBの3人でステージに座り込んで適当に音を出していた。

社会人になって、僕は埼玉を離れ静岡に移り住んだ。
Glad Eyeは高安氏以外に固定メンバーを持つのをやめ、時にはソロで、時にはユニットでライブやレコーディング活動を続けている。遠方に住んでいる僕は当然縁遠くなる。

2000年代初頭。
インターネットとブロードバンドの普及に伴ってネット上に音楽コンテンツが登場するようになり、それに伴うサービスも生まれてきた。そんなサービスのひとつでYAMAHAが主宰していた「プレイヤーズ王国」で、再び高安氏と交流する機会に恵まれた。
ネットを介して音楽を作る…まさかこんな時代が来るとは。夢にも思わなかったな。
その後も録音したファイルをやり取りしながら曲を作ったりする機会が、非常に稀ではあるが、皆無というわけではない、という状態。