ドラえもん のび太の宇宙英雄記 (スペースヒーローズ)
長寿映画
劇場版のドラえもん第一作「のび太の恐竜」が1980年なので、今年は映画化35周年。35年もの間、毎年新作を公開し続けてる映画って他にあるだろうか?
長寿なシリーズ映画といえば「男はつらいよ」。
1969年から1995年までの26年間で公開された作品は実に48にも及ぶ。
毎年春になると、大人は「男はつらいよ」、子供は「ドラえもん」。
邦画の興行収入は寅さんが1位、でも観客動員数はドラちゃんが1位、ってのが定位置。
そんなイメージだった。
封切りから1週間後、小2の息子と観に行った。
まったくの新作
今年の「のび太の宇宙英雄記」は過去作品のリメイクやオリジナルコミックから発展させた作品じゃなくて、純粋に「新作」だ。
作者の藤子不二雄さんが関わったのは18作目の「ねじ巻き都市冒険記」まで。藤本さんが亡くなってしまって以降は藤子プロが作品の骨子を作ってきた。
「南海大冒険(19作)」「ふしぎ風使い(24作)」のように藤子さんが過去に執筆したコミックのエピソードから発展させたものもあれば、「太陽王伝説(21作)」「ひみつ道具博物館(33作)」のように完全なオリジナルもある。
キャラクターさえいれば世界観が形成できるほど世の中に浸透した「ドラえもん」ではあるが、逆に言えば各キャラのイメージが固定化されているので脚本的な冒険は難しい。イメージがあるが故の安心感と、そこから脱皮できない故のマンネリさ。製作側にとってはいい面もあれば悪い面もある。
2005年に声優陣が刷新された。
最初は昔のイメージから抜けきれなかったキャラクターも、年月を重ねるにつれて新しい側面をチラホラ見せるようになっていった。
特に「変わった」と思うのは、ドラえもんとしずかだ。
にぎやかなドラえもん
僕にとっての「ドラえもん」は原作のコミックだ。だからどうしても原作のイメージと比べてしまう。
旧キャスト・大山のぶ代さんたちのドラえもんがコミックに従順だったかというと、決してそうではなかった。
ここでもやはりドラえもんとしずかはコミックのイメージとはちょっと違っていた。
ドラえもんはちょっとオッチョコチョイなところはあるけれども基本的には保護観察者の視点でのび太を見ている。のび太に接する時はちょっと上から目線で説教したり、罵倒したり、冷たい視線を投げかけて突き放したり、そういう態度が多い。
大山さんのドラえもんも最初はそうだった。しかしだんだんこの「視線」がのび太たちと同列になり、「便利な道具を持ってるトモダチ」という感じになっていった。
しずかはコミックでは普通の女の子だ。
特に若い巻数ではのび太をからかってケラケラ笑ったりしてる。
しかし巻数が2桁に入る頃から聖母のような優しさを前面に出すようになった。旧キャスト・野村道子さんのしずかもそう。最後の方ではお風呂を覗かれること以外はどんなことにも腹を立てない聡明で落ち着きのある女性になった。
しずかのこの「変化」はコミックの流れに準じたものだったのでそういう意味では「正しい変化」なのだが、最終的な聖母ぶりはやはりちょっと極端に思えた。
2005年のキャスト総入れ替え。
最初のうちは旧キャストのイメージを守ろうとしていた(受け入れてもらうためには守らざるを得なかった)声優陣も、だんだん独自の個性を出してくるようになった。
水田わさびさんのドラえもんは良く言えば元気がいい。言い換えるなら落ち着きがなくやかましい。
保護観察者という立場はもうどこかにいってしまったようだ。完全に「のび太の友人」になってしまった。
表情が豊かで、アクションが大きく、感情的で、しゃべりすぎる。
しずかは知的で聡明なイメージが薄れ、元気な女の子になった。
聖母になりすぎてた旧作からはやや巻き戻しがかかった感じでその点はよかったのだが、巻戻し方がちょっと違う。
おてんばしずかの片鱗は前作の「大魔境」で現れていた。
スーパー手袋を使ってゴリラをぶん投げるシーン。コミックでも旧作でもこの時のしずかは実に申し訳なさそうな表情をしていた。しかし今は違う。彼女は笑顔で鼻歌交じりで楽しそうに暴力を振るっていた。
この「宇宙英雄記」でもこのふたりの(僕の中では『悪い意味』での)表情の豊かさが前面に出ていた。
ジャイアンとのび太は長編になると前のめりでアクセルを踏みすぎてしまう。
それを抑えていたのがドラえもんとしずかだった。
長編だと臆病になるスネオも、単細胞に熱くなる友達に向かって想定されるリスクを提示するという点で重要な抑え役だ。
しかしこの「宇宙英雄記」で辛うじて「抑え役」だったのはスネオだけ。
ドラえもんとしずかはアクセルを踏む側に回ってしまった。
結果、「みんなでアクセル全開」なのだ。
賑やかで楽しい。だからいい。そういう人もいるかもしれない。
でも僕は違う。
今回のドラえもんはキャラクターが無邪気すぎた。
「銀河防衛隊」が「かすかべ防衛隊」とかぶった。
歴代屈指の駄作
物語のキーを握っていたのは「バーガー監督」。
ところが重要であるはずのこのキャラクターが実に軽い。
バーガー監督のしずかへのベタベタぶりは「海底鬼岩城」の「バギー」を連想させる。
が、バギーと違って、バーガーとしずかに心の交流はない。心の交流がないのに「好かれている」という図式。一体なんなんだろう?
「海底鬼岩城」ではジャイアンとスネオがドラえもんの警告を無視してバギーに乗って大西洋に向かい命を落としかけた。その責任をバギーに押し付けようとする2人に対してしずかが「悪いのはあなたたち」と一喝してバギーをかばう。ドラえもんやのび太も含めて自分は周囲から「機械」としてしか扱われてこなかった。でもしずかだけは自分を対等の存在として認めてくれている。それを意気に感じたバギーは以降しずかを慕い、最後は身を投げ打ってしずかたちを守る。
しかしバーガー監督の場合はそういう伏線は全く無い。
ただ単に「可愛い女の子だから」という理由だけでしずかに「バーガーちゃん」呼ばわりされてもプライドもなくデレデレしてる。
安直で、薄っぺらすぎる。
同じくらい薄っぺらく感じたのが「君こそヒーローだ」というセリフ。
のび太やアロンが口にするこのセリフは泣かせのポイントとして数回登場する。
しかしいずれの場面でもそこまでの導線がほとんどない。唐突に無理矢理言わせてる感じでシラケる。
それと細かいことだが、ひみつ道具に関する疑問もある。
透明マントを羽織って敵の秘密を探ろうとする場面があるが、透明なはずなのにどうやら仲間どうしては姿が見えているようだ。
透明マントってマント着てる人どうしはお互いが見える?
そんな設定あったっけ?
なんだこの違和感。
最近のドラえもんはどうも「ドタバタ劇」化している気がしてならない。
声優が変わったことは関係ない。
それはもう慣れた。
藤子さんの原作じゃないからというのも関係ない。
「ひみつ道具博物館」は悪くなかった。
そんなことじゃないんだ。
なんていうか、もっと大事なこと。
藤子不二雄さんが生きていたらこの脚本にOK出しただろうか?
劇場版のドラえもんはほぼ全作観てきたが、残念ながら35周年を記念したこの作品は僕にとっては歴代屈指の駄作だった。
でも一緒に観た息子は「すごく楽しかった!」って喜んでた。
うん、それはよかった。それでいい。
感じ方は人それぞれ。正解なんて無いんだから。